日光一文字の来歴

「日光一文字」は、鎌倉時代に作られた備前国福岡一文字派の最高峰の一振といわれている。福岡一文字派とは、現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡に居住した作刀集団である。

古備前則宗を始祖とし、工銘を入れず、「一」の文字を入れたことより「一文字」と称されるようになった。「日光一文字」の来歴は、経緯不明ながら日光権現(日光二荒山神社)が所蔵していた。

関東に勢力を伸ばし始めた伊勢宗瑞(のちの北条早雲)が、たっての所望で入手したという。以来、後北条氏の氏綱、氏康へと継承されていった。天正18年、豊臣秀吉の小田原征伐によって、氏政、氏直の降伏、小田原城開城。

その時、豊臣方と北条方の講和を周旋したのが、秀吉の知恵袋、軍師と称された黒田官兵衛孝高(号して如水)であった。講和周旋の労を謝して北条氏直から官兵衛に「日光一文字」が贈られた。早雲以来、後北条家五代の家宝は、黒田家累代の宝刀となった。