天下三作の1つ 江義弘

南北朝時代の越中で作刀の腕をふるった江義弘は、『享保名物帳』で天下三作に数えられているものの、室町初期までの『銘尽(めいづくし)』(観智院本)や『長享銘尽』といった刀剣書ではその名が明らかになっていません。
室町中期になってようやく、『能阿弥本』『往昔抄』などに登場してきます。
一般的にはその名はほとんど知られていなかったと推測されますが、それでも 『享保名物帳』で藤四郎・正宗と同格に許価されたのはなぜなのでしょうか。

『享保名物帳』の編纂を任された本阿弥家の13代光忠は、本阿弥家の中興の相として名高い9代光徳の鑑定限を信頼し、光徳の評価を大いに参考にしていたと考えられています。
この本阿弥光徳こそが、江義弘の品格を見 抜いて藤四郎・正宗と同じ評価を与えたのです。